熊谷次郎直実は、平家追討の合戦に名をあげたが、世の無常を感じ法然上人を師と仰いで51歳の時に出家し、法力房蓮生「ほうりきぼうれんせい」と改名した。
蓮生は、念仏の法門に深く帰依したので法然上人から、ご自作の尊像を賜り、それを奉持して故郷の埼玉県熊谷市に下向したが、その後に霊告を受けて再び京洛に奉安して熊谷山 法然寺と号した。
以来、たびたび兵火に遇うたが、幸いにも尊像は、ここ嵯峨野の地に、久しく安置されている。
熊谷次郎直実は、平家追討の合戦に名をあげたが、世の無常を感じ法然上人を師と仰いで51歳の時に出家し、法力房蓮生「ほうりきぼうれんせい」と改名した。
蓮生は、念仏の法門に深く帰依したので法然上人から、ご自作の尊像を賜り、それを奉持して故郷の埼玉県熊谷市に下向したが、その後に霊告を受けて再び京洛に奉安して熊谷山 法然寺と号した。
以来、たびたび兵火に遇うたが、幸いにも尊像は、ここ嵯峨野の地に、久しく安置されている。